2016/12/01 00:24

劇団21世紀枠第十一回公演「ゾンビ君とサクラちゃん」
無事に終演致しました。
公演のパンフレットに挟み込んでいたネタバレ紙の内容をここに公表します。

ゾンビ君とサクラちゃん ネタバレ紙

 つい昨日まで、不満はあっても不自由なく、暮らしている。不安はあっても不足なく生活できる。そんな日々があっさり崩れてしまう、事がある。たまたまそこに暮らしていたから、たまたまそこに生まれたから、たまたまそこに通りすがったから。明確な理由もなく、唐突に不幸は訪れる。日常は常に、そういった危険にさらされているのだと思います。

 私は取り返しのつかないことをしました。
 
 悲惨な事件。殺人も誘拐も、災害も、貧困も、病苦も、それを直接知らなければ、一冊の小説に過ぎない、のだと思います。手に取った時、目にした時は実感を持つが、棚に収められた瞬間、それは忘れらてしまう。
 だから、私の犯した罪を、皆は忘れていくのでしょう。そして、一様に「もう過ぎたことだ」「前をみて生きなきゃ」と言うのでしょう。
 忘れるということは、それが実感を失い、意味を失い、風化していくことだと思います。
 日々、目の前を過ぎゆく出来事をこなし、消費することに集中し、ただたんたんと、時間の進むままに、呼吸を続ければ、少しづつでも忘れていくことができると思います。
 だけど、実感を伴わない時間の経過の事を、生きる、とは言えないと思うのです。
 伯父さんには感謝しております。改まったこんな手紙を書くことはもうないかもしれないので、書きます。母の事、伯父さんにとって、許しがたいと思います。忘れがたいと思います。でも、伯父さんは忘れるよう言います。それは伯父さんの優しさだと思います、生き方を教えてくれているのだと思います。
 でも、あの出来事、私のした事は、私と共にあるのです。私の一部なのです。そのことを私は知っているのです。なかったことにはできないのです。一冊の小説のように棚にしまうことができないのです。
 私は、私のことを忘れたまま生きていくことができない。だから、私は覚えたまま、生きます。
分かりにくいでしょうか。伯父さん、ありがとうございます。昨日は、急な話でびっくりしたでしょうか。でも、お話したことは事実です。私たちは繭から還ったのです。昨日、お伝えした通り家を出ます。馬鹿げたことかもしれません。若気の至りでしょうか。でも私は、どんな苦労をしても、自分で生きたいのです、自分で生きられることを知りたいのです。
 資金援助、ありがとうございました。彼女の事、愛しております。
 また世間一般の意見として、身勝手ではないか、伯父さんは言いませんでしたが、わかってはいます。気を付けます。
 改めて、ありがとうございました。これから、生きます。
                                       出戸克也

本公演終了後、ゾンビ君が伯父に当てて書いた、手紙です。
苦境にある人が、一歩を踏み出す、その前の、きっとお布団の中で悶々としながら、朝が来るのを感じながら、堂々巡りを繰り返しながら、諦めや、自棄や、決して良くない感情もこもごもに、過ごすその夢現のお話です。
意思のないゾンビが、人間へなっていく、その前のお話です。